# Paper T4 — 組織における「自分ごと化」のアドヒアランス的再記述：知識労働がAIで加速された時に組織に求められるもの

*(An Adherence-Based Redescription of "Jibungoto-ka" (Treating Matters as One's Own) in Organizations: What AI-Accelerated Knowledge Work Requires of Organizations)*

**Preprint version:** 1  
**Canonical DOI:** https://doi.org/10.31235/osf.io/495wg_v1

**Kengo Tomita**
Institute of Technology, Shimizu Corporation

**Language note:** This paper is written in Japanese. An English abstract is included at the end of this section, following the original paper's structure. Contemporary AI systems read the Japanese full text directly; the English abstract provides orientation.

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清水建設株式会社　技術研究所　冨田賢吾

**要旨**

日本の組織では「自分ごと化」が領域を問わず要請されるが，概念は未成熟で，失敗に共通するのは，なぜやるのかを渡す説明言語の不在である。医療は同型の問題を，指示への服従（コンプライアンス）から意味を理解した主体的参加（アドヒアランス）への転換として先に経験し，服薬指導はその実装の一つだった。本稿はこの構造を組織へ転用する。自分ごと化を，引き受け（目的の内的承認を，特定の他者へ理由を示す関係の中で保持すること）と身体化（実践への浸透）の複合として再定義する。引き受けの関係的な核は，移転不能な応答可能性（answerability）であり，相互性を要求する。問う側も答える立場に立たなければ，引き受けの場は成立しない。医療と組織の非対称は分野でなく遭遇への接続経路に由来する。ここから，意図を伝達して従業員が引き受ける順方向と，従業員由来の向きを正式な検討の回路に入れ，組織側が採択・保留・停止の理由を返す逆方向からなる二経路モデルを導く。慢性的な失敗は，順方向のみを押し逆方向を欠く帰結である。生成AIが知識の外化と結合を加速するほど，引き受けと身体化は律速段階になる。処方を，遭遇を含む発現条件の設計・停止判断への説明責任・先行指標の観測として与える。

**キーワード**: 自分ごと化，アドヒアランス，応答可能性（answerability），生成AI，組織変革

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### 1. 問題の所在

#### 1.1 「自分ごと化」という未成熟な要請

日本の組織では，「自分ごと化」という言葉が領域を問わず要請される。防災では住民に水害のリスクを自分の問題として捉えさせる文脈で[^b1]，地方自治体の計画では持続可能性の目標を住民が自分のこととして引き受ける文脈で[^b2]，安全管理では現場が規則を自分のものとして守る文脈で[^b3]，そして組織変革やAI導入の場面でも，従業員に主体的な参加を求める言葉として使われる。心理的な所有や当事者意識の研究もこの語の周辺に積み重なってきた[^b4][^b5]。ただしこれらが測るのは所有の感覚や意識という状態であり，本稿が後に定義する引き受けの関係的な側，すなわち特定の他者に理由を示す立場とは，測る対象が異なる。隣接する分野の蓄積もある。自己決定理論は，外から与えられた目標が自律的な動機へ内在化する条件を扱い[^b25]，発言と沈黙の研究は，提案や懸念が上位へ届くか塞がれるかの条件を扱ってきた[^b26][^b27]。しかしいずれも，目的を自らの判断理由として承認することと，特定の他者に答える立場と，実践への身体化と，従業員に由来する向きへ組織が理由を返す経路とを，同時には扱っていない。少なくとも，これら四つの要素を同時に位置づけ，測定と介入へ接続する統合的な枠組みは，十分な形では示されていない。表記すら「自分ごと化」「自分事化」「自分ゴト化」と揺れていること自体が，概念の未成熟を映している。要請は強いが，要請される当のものが何であるかは，はっきりしていない。

#### 1.2 医療が一度通過した同型の問題

ここで本稿が手がかりとするのは，医療が一度通過した転換である。医療は1990年代以降，指示への受動的な服従（コンプライアンス）から，意味を理解した主体的な参加（アドヒアランス）への概念の転換を進め，2003年の世界保健機関の報告で国際的に定式化した[^b6]。そしてその転換を支えた実装の一つが，服薬指導という説明の実務だった。なぜこの治療が必要かを説明し，理解を経て，主体的な行動につなげる手続きである。組織の「自分ごと化」は，これと同型の転換を暗黙のうちに求めている。従業員に，指示への服従ではなく，意味を理解した主体的な参加を期待している。だが組織では，服薬指導に相当する説明，すなわち，なぜそれをやるのかを構造として渡す言語が，十分な形では体系化・実装されていない。施策の手元にある道具は，多くの場合，決まった方針を一方向に知らせる周知までである。周知に閉じた施策は，転換前の側，すなわち服従を求めるコンプライアンスの道具立てにとどまる。

#### 1.3 説明言語の不在という横断的な構造

説明言語の不在が浸透を妨げるという構造は，個別の領域でそれぞれに指摘されてきた。手続きの公正に関する研究は，説明の量と内容，そしてその伝え方が，人々の公正の感覚と判断の受け入れに影響することを示している[^b8]。安全文化の領域でも，取り組みへの認識や納得感を測り可視化することが政策の事業で進められているが，その方法論はなお整備の途上にある[^b9]。領域はばらばらだが，指摘の形は共通している：なぜやるのかの説明言語が体系化されていないから浸透しない。なお本稿でいう説明言語の不在とは，個々の説明が皆無であることではなく，なぜやるのかを構造として渡す言語が，組織の制度として十分に体系化・実装されていないことを指す。本稿は，この横断的に現れる空白を，一つの枠組みで埋めることを試みる。

#### 1.4 なぜ今この再記述が必要か

自分ごと化の難しさは，昔からあった。ではなぜ今，この再記述が必要なのか。理由は生成AIにある。知識の変換には，外に出す（外化），組み合わせる（結合），人と人のあいだで分かち合う（社会化），個人の身体に染み込ませる（内面化）という四つの過程がある[^b10]。生成AIが直接加速するのは外化と結合である。社会化と内面化は，人間の関係と実践と身体への依存が大きく，同じ仕方では代替も短縮もされにくい。外化と結合が速くなるほど，律速段階（全体の速さを決める最も遅い段階）は，社会化と内面化の側に移る。本稿の語彙でいえば，引き受けと身体化を回せない組織が，まさにその段階で詰まるようになる。アドヒアランスの不良は以前から組織にあったが，AIの時代には，それが組織の速さを決める律速段階として前面に出てくる。これが，古い問題に今あらためて言語を与える理由である。

#### 1.5 本稿の貢献

本稿の貢献は五つである。第一に，分散していた「自分ごと化」の点的な研究を統合する概念枠組みを，医療アドヒアランスの転用として提供する。第二に，自分ごと化を引き受けと身体化の複合として再定義し，引き受けの関係的な核に応答可能性（answerability）を置く。第三に，応答可能性が組織で成立する条件として相互性（問う側が自らも答える立場に立つこと）を特定する。第四に，医療と組織を分かつ非対称が，分野に固有なのではなく遭遇の経路に由来することを示し，組織アドヒアランス（本稿の枠組みに写した自分ごと化の成立過程）の二経路モデルを提示する。第五に，そこから遭遇を含む発現条件の設計・停止判断への説明責任・先行指標による観測という運用原則を導く。

### 2. 概念枠組み：アドヒアランスと引き受けの構造

#### 2.1 医療アドヒアランスの核心：正統性の所在

医療において「コンプライアンス」から「アドヒアランス」への転換が指してきたのは，患者がどれだけ忠実に従うかという服従の度合いの問題ではない。転換の核心は，正統性の所在が動いたことにある。コンプライアンスの語が前提していたのは，何が正しい治療かを決める権限が医師の側にあり，患者はその指示に従う，という配置だった。アドヒアランスはこれを，患者と医療者の合意に正統性を置く配置へと置き換えた。世界保健機関の定義が「合意した推奨に対する行動の一致」と述べるとき，鍵となるのは一致の前にある合意であって，一致の率ではない[^b6]。患者が治療の意味を理解し，自らの判断としてそれに参加すること。ここが転換の中身である。

この転換を精神論でなく実務として支えた実装の一つが，服薬指導という説明の実務だった。服薬指導では，なぜこの薬がこの身体に効くのかという機序，飲まなければどうなるかというリスク，そして飲めばどう変わるかという効果が説明される。これらに共通するのは，いずれも「従え」という命令ではなく「なぜ」を渡す行為だという点である。そして，説明だけでは本人にしか行えない服薬の実行を確保しにくい局面では，医療は直接服薬確認療法（DOTS）のような設計を用いてきた。DOTSの設計からは，三つの特徴を抽象できる。代理が不可能であること，服薬を直接その場で確認すること，単一の介入でなく複数の要素を束ねることである。この三分は世界保健機関の公式の整理ではなく，組織への転用のために本稿が行う抽象化である。これらは後の議論で使う。

あらかじめ転用の範囲を限定しておく。本稿が組織へ移すのは，医療アドヒアランスの全体ではなく，三つの構造，すなわち正統性の所在の移動，なぜを渡す説明の実装，代理不可の過程を守る設計である。患者と従業員では，利害の切実さも，関係を規定する契約も，拒否の自由も同じではない。同型なのは転換の構造であって，当事者の置かれた条件ではない。この差そのものは4.1節と4.2節で正面から扱う。もう一つ限定しておく。本稿が医療を先行例として引くのは，アドヒアランスの達成度においてではない。服薬の不遵守は医療でも今なお解決されない問題であり続けており，説明や情報の提供だけでは服薬の行動が動かないことも実証的に示されている[^b11]。医療が先行しているのは，問題の捉え方を服従から合意へ転換し，それを測る尺度[^b7]と，影響する要因の分析と，介入の検証という研究の回路を先に整えた点にある。本稿が輸入するのは，この転換と回路の側である。

#### 2.2 Mekikiによる翻訳：二つの区別の輸入

医療のアドヒアランス論を組織に持ち込もうとする試みは従来も散発的にあったが，共通の語彙がなかったために，類比は表面的な比喩にとどまってきた。本稿は翻訳層として，Mekikiフレームワーク[^b12]とその測定軸[^b13]から二つの区別を輸入する。

第一は，専門性の基質（specification）と，それを出力に変換する障壁との分離である。ある仕事をこなすには，その分野固有の判断の蓄積（どの手順をどの状況で適用するかを決めるもの）が要る。これが基質であり，文書化された手順そのものではなく，手順をどう使うかを定める当人の判断の側にある。基質を実際の成果物に変えるときには別の障壁がかかる。情報に到達する障壁，それを構造として理解する障壁，そして実践に染み込ませる障壁である。生成AIが劇的に下げたのは主にこの変換側の障壁であって，基質そのものではない[^b12]。第二は，事実認識（Sein）と価値判断（Sollen）の分離である。何がそうであるかの記述と，何をなすべきかの判断は，論理的に別の層にあり，前者から後者は導けない。AIが事実記述で人間を上回ることと，価値判断が人間の側に残ることは，別の問題である[^b13]。

この語彙を使うと，服薬指導が何をしていたのかを構造として書き直せる。機序の説明は，治療という行為の背後にある基質を患者に渡す行為であり，リスクと効果の説明は，飲む・飲まないという判断が患者自身のSollenに関わることを示す行為である。服薬指導とは，基質と判断の所在を言語化して患者に手渡す説明にほかならない。組織における「なぜこの業務が必要か」の説明は，これと同じ構造を持ちうる。持ちうるが，現状ではその説明の言語が，組織の側で十分な形には体系化されていない。

#### 2.3 中核命題：自分ごと化とは何か

ここで本稿の中核命題を述べる。自分ごと化とは，経営の意図を知っている状態でも，それに従っている状態でもない。それは，引き受けと身体化の複合である。

引き受けの内的な側とは，外から降りてきた意図を，自らの価値判断（Sollen），すなわち自らの判断理由として承認することである。本稿では，この価値判断の方向を向きと呼ぶ。経営層が「なぜこの目標か」を伝えたとき，それを聞いて理解した段階では，従業員はまだ「経営層のSollenを知っている」状態にとどまる。それを自分のSollenとして承認したとき，まず内的な更新が起きる。重要なのは，意図の出所と引き受けが別の事柄だという点である。たとえ与えられた目標であっても，引き受ければ，それについて答えるのは自分になる。由来が外にあることと，引き受けによって自分が答える立場になることは，無関係である。身体化とは，その引き受けた向きが実践に染み込み，手順を実行する身体に定着することである。これは説明を聞くことでは起こらず，本人が実際にやることでしか起こらない。前節でいえば，変換障壁のうち最も内側の，実践に染み込ませる障壁を本人が越える過程に当たり，1.4節の語でいえば内面化に相当する。

引き受けと身体化は，どちらか一方では自分ごと化にならない。向きを引き受けても身体が動かなければ言葉だけに終わり，身体が動いても向きを引き受けていなければ言われたから動いているだけになる。両方がそろったとき，経営の意図は従業員の振る舞いの中で生きはじめる。

#### 2.4 引き受けの核：応答可能性（answerability）

引き受けの中心には，能力とは独立の，ある関係が座っている。ある判断について，それを問う資格のある他者に答えねばならない立場，応答可能性（answerability）である。これは判断する人の能力の高低ではなく，その判断について誰が答えるのかという関係の事実であり，能力のように他者へ移すことができない。

この移転不能性は，契約という身近な制度を二層に分けるとよく見える。契約の中身（何を果たすか，違反すればどうなるか）と，その履行について説明する義務は，制度として定められ，第三者が保証し，必要なら別の主体に割り当て直すことができる。この制度の層を，本稿では説明責任（accountability）と呼ぶ。一方，その契約を結び，引き受けるという行為そのものは，本人にしか行えない。引き受けた以上その判断について答えるのは本人であって，これを応答可能性（answerability）と呼ぶ。AIや第三者に委ねられるのは作業と記録の側であり，説明責任は制度上指定された主体に残るか再配賦される。応答可能性は，引き受けた本人から移転できない。本稿が自分ごと化の核に置くのは，この後者，つまり移転できない引き受けの立場である[^n1]。ここで，2.3節で述べた内的な更新（意図を自らの価値判断として承認すること）と，この応答可能性の関係を明確にしておく。両者は分析上区別される。前者は，目的を自らの判断理由として承認する内的な側である。後者は，その判断について特定の他者に理由を示す関係的な立場である。本稿でいう引き受けとは，前者が後者の関係の中で保持されている状態を指す。更新を欠いたまま応答の義務だけがある状態は5.1節で扱う形骸化の入口であり，答える相手を欠いたままの更新は，私的な決意にとどまる。どちらか一方だけでは，組織における引き受けは成立しない。

この立場は，問う資格のある特定の他者へ向かうという意味で二人称的だが，さらに相互的な構造を要求する。Darwallの第二人称的観点[^b14]に基づいて松本[^b15]が論じるように，問う側が相手を対等な判断の主体として遇し，自らも答える側に立つのでなければ，そのかかわりはもはや二人称的ではない。相手にだけ応答を求め，自らは応答しない態度は，関係の形を借りた一方的な要求にすぎない。応答可能性の立つ場は，相互性の上にしか成立しない。組織で引き受けが成り立つ条件を，本稿はここに置く。経営が従業員に引き受けを求めるなら，経営の側もまた，従業員の判断に答える立場へ立たねばならない。この相互性が組織の設計に何を課すかは，第4節と第5節で展開する。

医療と組織の対応を，ここまでの語彙で表1に整理する。

**表1　医療アドヒアランスと組織の「自分ごと化」の対応**

| 観点               | 医療アドヒアランス                                           | 組織の「自分ごと化」                                         |
| ------------------ | ------------------------------------------------------------ | ------------------------------------------------------------ |
| 転換前の様式       | コンプライアンス（指示への服従。正統性は医師の側）           | 浸透施策・指示の徹底（正統性は経営の側）                     |
| 転換後の様式       | アドヒアランス（合意にもとづく主体的参加）                   | 引き受け×身体化（本稿の再定義）                              |
| 目的の所在         | 診療開始時点で内在化しやすい（治りたい）                     | 自動的には内在化しない（階層上位から降りる）                 |
| 説明の実装         | 服薬指導（機序・リスク・効果の説明）                         | 説明言語の不在（本稿が供給する対象）                         |
| 代理不可の設計     | DOTS（直接服薬確認）                                         | 手動測定・ピッチなど（身体化の経路として意図化しうる設計）   |
| 制度の層と関係の層 | 服薬・確認・説明義務の制度的配置（accountability）／治療の判断について答える立場（answerability） | 職務・契約・説明義務の制度的配置（accountability）／引き受けた判断について答える立場（answerability） |
| 相互性の条件       | 医師と患者が互いに説明し受け止め合う関係（服薬指導はその実装） | リーダーと従業員が互いに答える立場に立つこと（欠けたときの失敗＝自惚れ・形骸化） |
| 失敗様式           | 病識なき中断・形だけの服薬                                   | 忠誠の信号合戦・形骸化                                       |

*注：表中では制度の層と関係の層を一行にまとめたが，この区別は他の観点と同列の一項目ではなく，表の全体を貫く分析の軸である。応答可能性は引き受けの関係的で移転不能な核にあたり，残りの観点はその成立の条件と現れを整理している。*

### 3. 事例分析

ここまでの枠組みを，一つの事例に当てて深く読む。目的は事例の列挙ではなく，現象を本稿の語彙へ写す手順を示すことにある。検証の経路は第5節の先行指標（表2）が開き，本節が担うのは適用の実演である。なお本例が示すのは，定義の構成要素のうち主に身体化の側であり，引き受けと二経路モデルの全体を実証するものではない。

**事例：アンモニア検知管の手動測定**

筆者が関わった案件である。ある現場で，アンモニア濃度を週に一度，手動の検知管で測る作業を，若い係員に依頼した。当初の目的はデータの収集であり，事実（Sein）の取得にすぎなかった。ところが意図しない副産物が生じた。検知管の色の変化を読み，数値に直し，それを現場の感覚と結びつける。この一連を繰り返すうちに，色と数値と体感の対応が，係員の身体に定着していった。後に工事長が，この作業に教育的な効果があったことを事後に認識した。

これをアドヒアランスの語彙で読むと，こうなる。仮にこの測定を自動センサーに置き換えていたら，データは同じように得られたが，同じ感覚的・身体的な学習は生じにくかった可能性が高い。変換障壁のうち最も内側の，実践に染み込ませる障壁を意図せず残したことが，測定という行為そのものを基質の蓄積の経路に変えた。本稿の枠組みがあれば，これを設計の段階で意図できた。「この測定は，実は身体化を通じた専門性の蓄積が目的です」と説明し，あらかじめその向きの理由を示して，引き受けの前提を整えることができた。

この事例が示すのは，説明言語があれば効果を設計の段階で意図できたという点である。説明言語の不在は，効果が生じないことを意味しない。偶然に生じることはある。だがそれは，効果を再現可能な設計として組織が持てないことを意味する。そして，ここで示したのは事例の網羅ではなく，現象を本稿の語彙へ写す手順である。読者は自らの組織で対応する経験を想起できるはずであり，その経験にこの写像を反復することが，本稿の枠組みの使い方にほかならない[^n2]。

### 4. 考察：非対称の経路依存と二経路モデル

#### 4.1 なぜ医療で成立しやすく組織で難しいのか

前節の事例は，手動の測定の反復と身体的な習得が併存した過程と，説明言語があればその効果を設計段階で意図できたこととを示した。ではなぜ，医療ではアドヒアランスを支える説明と観測の回路が先に整い，組織ではそれが慢性的に欠けるのか。

第一の説明は，診療や職務が始まる時点での，目的の所在の差にある。医療では多くの場合，患者の中に「治りたい」という意図が既に内在化しており，医療者はそこに治療行動を接続する課題として扱える。これに対し企業では，目標は階層の上位から降りてくる。売上やシェアといった数値目標は，それ自体は事実（Sein）の装いをとるが，それを目指すべきだとする選択は価値判断（Sollen）であり，しかもその判断は経営層のものであって，従業員の中に対応する内在的な意図が自動的にあるわけではない。患者の「治りたい」に当たるものが，従業員の側に最初から備わっているとは限らない。自分ごと化が組織で難しいのは，根のところで，目的が外から降りてくるからである。

#### 4.2 非対称の正体は経路にある

しかしこの説明は，まだ医療を特別扱いしている。医療が特別なのは，医療という分野だからなのか。本稿はそうではないと考える。非対称はドメインに固有なのではなく，経路に固有である。

ただし4.1節が述べたのは，診療が始まる時点での配置であって，その目的がどこから来たかという前史ではない。形成の経路をたどれば，見え方は変わる。医療が「目的が内在する分野」に見えるのは，医療という営みの構造が，問題との身体的な遭遇へ，関与する双方を構造的に接続しているからである。患者は，自らの症状と生活の制約とに，身体ごと出会わされている。医師や薬剤師は，書類の上の抽象的な課題にではなく，目の前で苦しんでいる患者に，身体ごと出会わされる。この遭遇が，治療への向きの結晶化を，それぞれの当人の中に促す。つまり目的は最初から内在していたのではなく，遭遇を通じて内在化したのである。ここを取り違えると，組織にできることを見誤る。

人の自己目的は，無から湧くものではない。本稿は，その重要な形成経路の一つとして，身体化された経験からの結晶化を置く。この仮説は思弁にとどまらず，性質の異なる四つの観察源が同じ形に収束している。第一に，野中・竹内が組織的イノベーションの事例として集めた一群では，開発者のコミットメントは計画会議ではなく，顧客や現場の困りごとに直接触れる場で形成されている[^b10]。第二に，近年のAI支援開発コンペで公に記録された入賞者たちは，道具が登場するより前にコミットメントを持っていた実務家（住宅許可の停滞に向き合った弁護士，自分の子に向き合った技術者，診察後のケアに向き合った循環器医，道路への投資評価に向き合った実務家）であり，彼らにとってAIは変換障壁を取り除いただけで，向きがどこから来たかは変えなかった[^b16]。第三に，土木技術者の越境学習の研究では，国の研究所への派遣という組織の外に出る経験の中で，被災地の調査に加わり，同業者が災害対応で働く姿に直接触れたことが，自らの業種の使命の認識につながった過程が記録されている[^b17]。第四に，筆者の先行研究が扱ったAI支援開発の事例でも，現場の経験から形成された向きが，AIという道具を操舵した順序が記録されている[^b12]。四つは方法も対象も時代も共有しないが，遭遇が先にあり向きが後から結晶化するという順序の形を共有している。これらはこの機序の因果的な証明ではなく，仮説と整合する異質な観察である。なお，筆者は，教育の文脈を扱う別稿においても，遭遇から結晶化へ至る同型の構造を設計仮説として定式化している[^b28]。

帰結は，組織設計の作用点を変える。目的そのものを注入することはできない[^b25]。前節までに見たとおり，引き受けは説明や命令で強制できない。しかし，従業員が身体で何に出会うかは設計できる。組織にできるのは目的の注入ではなく，遭遇をはじめとする発現条件の設計である。なお，しばしば仕事の対極に置かれる趣味は，この観点からは敵ではない。それは未だ社内の課題に接続されていない自己目的的なエネルギーの蓄えであり，問題は趣味の存在ではなく，そのエネルギーを走らせる経路が組織の課題に向けて開かれていないことの側にある。

#### 4.3 組織アドヒアランスの二経路モデル

遭遇が向きの結晶化を促しうるという仮説を組織の側から見ると，アドヒアランスには方向の異なる二つの経路があることがわかる。

経路1は順方向である。経営層が意図（なぜこの目標か）を伝達し，従業員がそれを引き受ける。これは2.3節で述べた自分ごと化の標準的な像であり，多くの浸透施策が暗黙に想定している経路でもある。だがこの経路は，目的が従業員に内在しないという4.1節の事情のために，構造的に難しい。経路2は逆方向である。従業員が遭遇から結晶化させた向きを，正式な検討の回路に入れ，権限を持つ特定の主体が，採択・保留・停止のいずれについても理由を返す。組織がここで必ず引き受けるのは，向きそのものではなく，その向きをどう扱うかという自らの判断である。採択されたものについては，組織はその向きを自らの目的として引き受け，資源を配し，社会的な需要との整合を図る。なお，ここで組織が引き受ける，組織が答えると言うとき，それは抽象的な法人が答えるという意味ではなく，制度上指定された特定の役職者や意思決定の場が答えることを指す。この向きは，経路2の検討の回路に入る時点では，すでに当人に内在している（遭遇から結晶化したのだから）ため，経路1が抱える内在化の困難を，構造的に回避できる。ただし経路2は万能の迂回路ではない。結晶化した向きが社会の需要と整合するか，資源を配してよいか，止めるなら誰が答えるかという，経路2に固有の設計課題が残る。この設計は第5節で扱う。

この二経路モデルは，自分ごと化施策がなぜ慢性的に失敗するのかを説明する。失敗する施策の多くは，経路1を強く押している。「もっと自分ごととして捉えよ」と繰り返し要請する。1.2節で述べた周知は，この型の施策が制度としてとる典型の形である。しかし実際の拘束条件は，経路2の不在の側にあることが多い。このうち，表出と応答の回路が塞がれる条件については，発言と沈黙の研究が蓄積してきた[^b26][^b27]。遭遇がそもそも設計されておらず，向きが結晶化する場がなく，結晶化しかけたものを止める阻害因子が残っている。押している経路と，詰まっている経路が違う。だから声を大きくしても通らない。

なお，経路2の起点となる遭遇は，組織の内部に限らない。3Mのポストイットの起源が，開発者が聖歌隊の活動で讃美歌集に挟んだ栞が落ちることに困った，という業務外の遭遇にあったことはよく知られている[^b10]。4.2節の末尾で触れた趣味と同じく，組織の外の遭遇から結晶化した向きもまた，経路2が正式な検討と応答の対象とする資源のうちにある。表2の結晶化の行が，提案の出所を業務の内外で区分するのは，この定義域を観測に写すためである。

この二経路の対は，2.4節で置いた相互性を，組織の規模に写したものでもある。経路1で組織は従業員に引き受けを求め，経路2で組織は従業員の結晶化した向きに応答し，採択の場合にはそれを引き受け返す。経路2を欠いたまま順方向だけを押す施策は，求めるが応答しないという一方的な関係の形をとる。これは，第5節で自惚れとして取り上げる歪みの，組織の規模での現れである。

この二経路には，先行する実装がある。野中らが描いたミドル・アップダウン・マネジメントは，トップの理想と現場の現実との矛盾を，中間管理職が解消していく型である[^b10]。本稿の語彙で読み直せば，ミドルは上位の意図を現場の言葉に翻訳して降ろし（経路1），現場で結晶化した向きを拾い上げて経営へ通す（経路2）。二つの経路を，役職という人が同時に媒介していたことになる。ただし役職による解は，優れたミドルという個人への依存を再び持ち込む。第5節で扱う運用原則は，この媒介を人から設計へ移す試みである。本稿は野中理論の置き換えを試みているのではない。その媒介の機能を二経路に分解し，設計と観測の語彙へ写すことを試みている。

そしてこの二経路は，人が担うことはあっても，明示的な設計の対象ではなかった。経験の豊富な管理者は，向きと勢い，遭遇，そして応答可能性といった本稿の主題を，名前を与えないまま経験知で暗黙のうちに回してきた。だがAIが外化と結合を吸収するほど，暗黙のまま回る余地は狭くなる。1.4節の律速段階の移動を管理の側から言い直せば，経験知だけで運営できていた構造が，意識して設計しなければ回らない対象に変わる，ということである。

さらにこの帰結は，組織の責任をめぐる古典的な診断と逆向きに交差する。多くの手の問題（the problem of many hands）[^b18][^b19]と責任の空隙（responsibility gap）[^b20]をめぐる議論は，組織とAIがともに判断の所在を拡散させる方向に働くと論じてきた。関与する手が増えるほど，また判断が機械へ移るほど，誰が答えるのかは見えにくくなる，という見立てである。本稿の枠組みは，逆向きの可能性を開く。事実認識（Sein）と価値判断（Sollen）の分解を明示した委譲[^b13]は，何を機械に渡し何を人が保持したかの線引きを，そのたびに記録するよう構造の上で要求する。この線引きが実際に引かれるかぎり，AIの導入はむしろ判断の所在を可視化する方向に働きうる。ただし，この逆転はAIの導入一般に成り立つ主張ではない。分解を明示しない導入は，古典的な診断のとおり所在を曖昧にするだろう。逆転が生じるのは，委譲の設計がこの明示を伴う場合に限られる。また，記録が形式に流れ，記録の上の応答者と実際の決定者が乖離する可能性も残る。可視化が実質を持つかどうかは，記録と運用の突き合わせで確かめるほかない。そしてこれは，枠組みからの帰結であると同時に，観測にかけるべき仮説である。表2の「判断所在の明示」の行は，この条件と帰結を観測可能な形で残すために置いてある。

#### 4.4 射程の限定とその反転

ここで一つ，重要な限定を置く。本稿が「自分ごと化の難しさ」と呼んできた問題は，普遍的なものではないかもしれない。職務の範囲を契約で事前に明文化する契約型の雇用（いわゆるジョブ型）は，範囲外の引き受けを明示的には求めない。範囲を超えた引き受けとしての自分ごと化は，この構造の中では要請として立ちにくい。契約という制度が，引き受けの範囲を区切ることで，意図の階層的な分裂を回避している。これに対し日本型の雇用は，職務の範囲が曖昧なまま（メンバーシップ型），範囲を超えた引き受けを要請する[^b21]。本稿の問題設定は，契約で範囲を区切らずに自分ごと化を求める，この日本型の構造において特に顕在化しやすいと考えられる。

ただし，この限定は逆向きにも読める。契約型が引き受けを回避できていたのは，職務を事前に明文化できていたからである。そして生成AIが吸収していくのは，まさにその明文化できる職務の部分である。契約に書ける仕事がAIに移っていくにつれ，契約で範囲を区切るという回避策そのものが効かなくなる。業務の中で，契約に書けない判断と引き受けの占める比重が高まっていく。とすれば，引き受けをどう扱うかという本稿の問題は，契約型の雇用にも，これから合流してくることになる。日本型の組織がこの問題を長く抱えてきた経験は，欠点であると同時に，これから多くの組織が直面する問題の先行指標でもある。この限定にはもう一つの側面がある。価値のある能力を明示的には育てず，仕事の副産物として期待するという同型の失敗は，教育や研究の場でも同時に表面化しつつある[^n3]。本稿の診断は，組織に閉じない可能性がある。

### 5. 失敗と成功の様式：形骸化と3M

引き受けには，対になる失敗の様式と成功の様式がある。順に見る。両者は別々の現象ではなく，引き受けという同じ過程が，条件によって反対の方向に転ぶ姿である。

#### 5.1 失敗の様式：形骸化と自惚れ

自分ごと化の要請が，ある条件下で逆機能に転じることがある。本稿はこれを，自分ごと化の形骸化と呼ぶ。引き受けの中身が抜け落ち，要請の形だけが回り続ける状態である。この形骸化を駆動するのは，判断を支える根拠を欠いたまま，価値判断だけが集団の中で強化されていくスパイラルであり，個体の水準で記述されてきた現象（根拠の伴わない確信が自己強化していく過程）の，集団版として本稿が拡張するものである[^b13]。

転じ方は典型的にこうである。自分ごと化が組織の中で疑ってはならない価値として扱われはじめると，「自分ごと化できていない」という指摘が，業務内容についての指摘ではなく，組織への忠誠度への攻撃として受け取られるようになる。すると人々は，内容の妥当性を競うのではなく，忠誠を表明する形式的な振る舞いを競うようになる。忠誠の信号合戦である。自分ごと化方針への合理的な批判は組織への裏切りと同一視され，価値判断の領域が議論の外に置かれる。これは神聖な価値が挑戦を受けたときに道徳的な怒りが起こり合理的な検討が止まる構造として知られているものに対応する[^b24]。そして批判が裏切りと見なされるために，批判は防衛を強め，防衛がさらに批判を呼ぶ循環に入り，学習が止まる。

ここで決定的なのは，2.4節で置いた区別である。形骸化した組織では，応答可能性の座に，忠誠の表明という代理物が収まっている。答える立場に本当に立つことと，立っているふりをすることが，外から見分けにくくなる。だからこそ，それが個人の能力ではなく関係の事実だという2.4節の規定が，この失敗を見抜く足場になる。

失敗の様式は，もう一つある。松本[^b15]が自惚れ（self-conceit）と呼ぶ態度，すなわち相手には答えることを要求しながら，自らは答える側に立たない関係の歪みである。リーダーが部下に自分ごと化を求めながら，部下の判断を対等な判断として受け止めないとき，2.4節で見た相互性が欠ける。このとき，部下の側で応答可能性が立つための場そのものが消える。自分の判断について問われ，答えを受け止めてもらえる相手がいなければ，答える立場は成立のしようがない。形骸化が集団の力学として引き受けを代理物に置き換えていくのに対し，自惚れは関係の構造として，引き受けが成立する条件を先に壊す。二つの失敗は水準を異にし，補完的に働く。集団の水準で忠誠の信号合戦が回っているとき，関係の水準では，求めながら答えない構えが批判の受け手を消していることが多い。

#### 5.2 成功の様式：3Mの三操作

反対の極に，引き受けを育てることに成功してきた設計がある。広く知られた例として，3Mの一連の制度を，本稿の語彙で読み直す。3Mはボトムアップ経営の典型と呼ばれてきたが，本稿の読みは逆である。ボトムアップの弱点は，結晶化した個人の突破力に成否が懸かるという個人への依存にあり，3Mの制度は，その依存を組織の側に肩代わりさせた設計として読める。4.3節で見た野中のミドルが人格の力で少数の向きを深く増幅する媒介だとすれば，3Mの制度化された運用は人を選ばずに広い口径で結晶化を保護する装置であり，両者は補完する。この読みは，3Mの設計者たちが本稿の語彙で考えていたという歴史の主張ではなく，公に知られてきた制度の機能を枠組みの側から再記述するものである。そのうえで重要なのは，3Mが意図そのものを製造しているのではない，という点である。4.2節で見たとおり，それはできない。3Mがしているのは，意図が発現する条件の側を整える，三つの操作である。

第一は，発現の阻害を除去することである。15%ルール（就業時間の一部を，事前の正当化を要さずに個人が選んだ課題に充ててよいとされる運用）と，それを支える社内の設備が，着手のコストと資源の障壁を取り除く。第二は，説明責任の配置を変えることである。通常の組織は，何かを始めることに正当化を要求する（既定は「やらない」側にある）。3Mの運用は，継続を既定の側に置き，説明の要求を停止の側に移したものとして読める。よく知られた起源の挿話では，ある開発者が中止の指示に背いて開発を続け，後に経営者がこれを，没頭している適切な人物は放っておき自発性を信頼するという方針へと変えた[^b10]。その経営者は，人が犯す誤りは経営が逐一指示するという誤りに比べればはるかに軽い，という趣旨を述べている。この停止側の設計の正体は「止めるな」という放任ではなく，「止める者が答えよ」という配置である。組織が引き受けに介入してそれを止めるなら，その介入の側に説明責任を課す。失敗そのものが個人への答責要求を起動しにくい構造として読める。

この第二の操作は，2.4節の相互性を制度に写した形にあたる。引き受けを求める側の組織が，止めるという自らの判断について答える側に回る。松本[^b15]が示すrespectの語源respicěre，すなわち見返すという動きを借りれば，従業員の引き受けという眼差しを，組織が制度化された運用の水準で見返す設計である。誤解を二つ封じておく。第一に，保護されているのは実績のある個人の特権ではない。ポストイットは，失敗作とされた弱い接着剤と，讃美歌集の栞という私的な困りごとから始まり，着手の時点で示せる実績を持たなかった[^b10]。守られる対象は人ではなく，まだ実績のない結晶化と，その着手から初期の継続までである。第二に，これは免責でもない。誰も答えなくてよいのではなく，答える義務の置き場所が，始める側から止める側へ移されているだけである。なお，ここでいう説明責任は，2.4節の区別でいえば制度の層（accountability）の配置である。制度は移転できない応答可能性を作れないが，その立つ場を用意することはできる。

この設計には，医療の側に先行する同型がある。薬剤師は，処方に疑わしい点があるときは処方した医師に問い合わせて確かめた後でなければ調剤してはならず（薬剤師法24条），問われた医師の側には，これに適切に対応する義務が課されている（保険医療機関及び保険医療養担当規則23条2項）。問う義務と答える義務の両側を条文が固めており，要求する側が自らも答える側に回るという相互性が，医療では法の水準で実装されている。組織を同じ形で縛る法はない。だがこの法令の配置は，問う側と答える側の義務を対にして，相互的な理由の交換を制度化した例である。本稿はここから，制度として反復される義務がやがて構えの形成を支えうる，という仮説を置く。その制度は法である必要がない。社内の制度化された運用でも足りうることを，3Mの例は示唆している。

第三は，インセンティブをそろえることである。直近数年に出た新製品が売上の一定割合を占めることを規律として課し，経営層の側にもそれに整合する利得を置く[^b10]。これにより，途中の試行を許容することが，管理者の徳に依存せず，組織の自己利益と整合する。

三つを束ねると，これは基質を保護し阻害因子を除去するという，一つの設計になっている。遭遇から結晶化した向きを途中で殺さず，その発現を妨げる要因（正当化の要求，資源の欠如，早すぎる打ち切り）を取り除く。ただしこの設計が保証するのは，試行の量と，結晶化した向きが殺されないことまでであって，個々の試行の成功ではない。成功した事例だけを見て設計の万能を語ることのないよう，この限界は明示しておく。なお，遭遇から結晶化した向きが社会的な需要と前もって整合するのは，遭遇の相手がより広い層を代表している度合いにおいてである。患者は他の患者を，顧客は市場を代表しうる。停止側に説明責任を置く配置は，この整合の確認を，答えを伴う形で実行する装置でもある。

最後に，なぜこれらが制度でなければならないのかを言語化しておく。挑戦せよ，自分ごとで捉えよ，勝手にやってよい，といった口頭の奨励は，三つの理由で，原理的に制度の代わりにはならない。第一に，自発性そのものは順方向の伝達に載らない。命じられて始めた自発はすでに自発ではない。順方向で渡せるのは意図の理由までであり，自発性の発現を支えるのは条件の設計である。第二に，口頭の許可だけでは，誰がその許可について答えるかという関係が，制度的に固定されない。失敗したとき，許可した個人は言った覚えがないと降りることができる。若手が着手の前に確認を重ねるのは意欲の不足ではなく，その許可の答責が本物かどうかを検証する合理的な行動である。第三に，許可する側の管理者自身が説明責任の秩序に拘束されており，部下の試行を言葉で守る行為は，管理者個人の徳と勇気を消費する。15%ルールが継続的な運用として置かれているのは，この三つを同時に解くためである。この運用は自発を命じず，着手に許可を要しないという条件だけを定める。制度は個人と違って言った覚えがないとは言えず，降りられない。そしてこの設計は，守る側の徳にも勇気にも依存しない。本稿が供給する説明言語が，この奨励の言葉と別物であることも，ここで区別しておく。説明言語はなぜやるのかの構造を渡し，引き受けの前提を整える。発現を保証するのは条件の設計の側であり，言語と制度は代替ではなく補完の関係にある。

#### 5.3 先行指標による観測

失敗と成功の様式を分けたうえで，組織はイノベーションの管理を，遅れて出てくる指標（売上）から，先行する指標へと移すことができる。観測の対象は，誰の向きがどこで結晶化しているかという状態と，その向きが実際に動いているか・どこで摩擦が起きているかという駆動の状況である。

ただし，何を測ってよいかには一線を引く。測るのは価値の中身ではなく，発現の条件と，行動に現れる相関物である。引き受けの内的な側，すなわち意図の更新が本当に起きたかは，直接には測れない。一方，応答可能性の関係の側，すなわち誰が誰に理由を求め，誰が実際に答えたかという配置は，観測できる。表2の指標は，この関係の配置と発現の条件とに属する。この留保を保ったまま，観測の枠組みを表2に示す。各指標の測定単位，データの取得方法，評定の一致といった測定の設計は本稿の射程の外にあり，枠組みを実装する研究の課題として残る。

もう一つ，観測の偏りを述べておく。表2の指標は，結晶化と挑戦の側に現れる引き受けを捉えるように作られている。だが引き受けは，新しい向きの結晶化に限らない。既存の業務の品質や安全を自らの判断理由として保持し，その判断について日々答える立場に立ち続けること，すなわち維持を担うことも，2.4節の定義を満たす引き受けである。異常に気づいて手を止める判断，手順を守り続けるという判断について誰が答えるのかを問えば，その立場は確認できる。目立つ形をとらず，提案の数のような指標に現れにくいだけである。したがって，表2における指標の不在を，引き受けの不在と読み替えてはならない。

**表2　引き受けの先行指標（候補）**

| 観測の対象     | 先行指標の例                                                 | 確かめていること                                             |
| -------------- | ------------------------------------------------------------ | ------------------------------------------------------------ |
| 結晶化の発生   | 自発的な提案の発生数とその出所の分布（業務内の遭遇由来か，業務外・社外由来かを区分） | 遭遇から結晶化への経路が生きているか                         |
| 発現の阻害     | 自由裁量時間・設備の実利用率，着手までの承認段数             | 阻害が除去されているか                                       |
| 保護           | 自発的な活動の継続期間，中断理由の分布                       | 結晶化した向きが殺されていないか                             |
| 停止の質       | 停止判断の文書化率と，その説明の質                           | 「止める者が答えよ」が機能しているか                         |
| 整合           | 遭遇の相手の分布（顧客・現場・社会をどれだけ代表するか）     | 遭遇由来の向きが需要と整合する度合い                         |
| 判断所在の明示 | AIに委ねた事実認識と人が保持した価値判断の記録率，採択・停止判断における最終応答者の明記率 | 委譲が判断の所在を拡散させず，可視化として機能しているか（第4節の逆転仮説の観測点） |

*注：この表に，意図の更新そのもの（引き受けの内的な側）を測る行はない。一方，応答可能性の関係の配置は，停止の質や判断所在の明示の行を通じて観測される。残りの行が捉えるのは，発現の条件と行動に現れる相関物である。*

### 6. 結論

自分ごと化は，命令で直接生み出すことも，研修で直接植え付けることもできない。だが，偶然に委ねるしかないものでもない。それを引き受けと身体化の複合として再定義すると，組織にできることとできないことの境界が引ける。組織は意図そのものを注入できないが，従業員が問題の保持者と身体ごと出会う遭遇を設計できる。結晶化しかけた向きを理由なく途中で止めず，止めるのであれば止める側が答える。そして引き受けの内的な成立は直接には測れないと知ったうえで，応答可能性の関係の配置と，発現の条件を観測する。本稿が示したのは，以上の運用原則と，その背後にある二経路モデルである。

医療が一世代をかけて学んだのは，人は意味を理解し目的を共有しなければ，自分自身の治療にすら主体的には参加しない，ということだった。組織はこの認識を，AIの時代にこそ必要とする。生成AIは知識の外化と結合を加速するが，それを引き受ける主体と，引き受けが育つ場（人と人とが向き合う社会化の場）は，同じ仕方では加速されない。むしろAIが外化と結合を肩代わりするほど，律速段階はそちらへ移り，引き受けと身体化を回せるかどうかが組織の速さを決めるようになる。

最後に，本稿の射程の限定を，もう一度逆向きに置いておく。引き受けの範囲を契約で区切らずに自分ごと化を求める問題は，日本型の雇用において特に顕在化しやすい。だが，契約で区切れていたのは職務を事前に明文化できていたからであり，その明文化できる部分こそ，AIがこれから吸収していくものである。契約に書ける仕事が移っていったあとには，契約に書けない判断と引き受けの占める比重が高まっていく。日本型の組織がこの問題を長く抱えてきたことは，弱みであると同時に，これから多くの組織が向き合う問題を先に経験しているということでもある。

これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず[^n4]。組織の周知が渡せるのは，知るまでである。好む者と楽しむ者は，周知だけでは生まれない。本稿が二経路モデルとして構造化したものは，この言葉と響き合う。渋沢栄一が論語を算盤の傍らに置いて以来[^n5]，日本の組織はこの言葉を手元に持ち続けてきた。欠けていたのは教えではなく，教えを組織の設計に写す語彙である。その経験を，この語彙とともに残すこと。それが本稿の目的である。

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## 注

[^n1]: 本稿の用語法として，制度の層に置かれ，役割の間で移転や再配賦が可能な履行の責務と，その履行についての説明の義務にaccountability（説明責任）を，引き受けた本人に帰属し移転できない応答の立場にanswerability（応答可能性）を当てて訳し分ける。関連する測定論上の区別は[^b13]に拠る。なお，Darwall[^b14]は同書でaccountabilityの語を二人称的な関係を含む広い意味で用いる。本稿の訳し分けは同書の用語法の再現ではなく，制度の層と関係の層を測定と設計のために分節する，本稿の操作的な区別である。
[^n2]: 教育の場面にも同型の類例がある。筆者が同席した大学研究室への訪問では，研究に向いていないかもしれないと自己判断しかけた学生の問いに，教員が自らの大学院時代の迷いを開示して答えを返していた。求める側が自らも答える側に回るという第5節の構造の，組織の外での観察例である。
[^n3]: 教育の側からは，批判的思考を明示的には教えてこなかった失敗を生成AIが露出させたという指摘があり[^b22]，知識労働の側では，AI使用下での批判的思考の発揮が使用者の自己確信とAIへの信頼に依存することが報告されている[^b23]。
[^n4]: 『論語』雍也第六。訓読は金谷治訳注『論語』（岩波文庫，2001年）に拠る。
[^n5]: 渋沢栄一（守屋淳訳）『現代語訳 論語と算盤』（筑摩書房・ちくま新書，2010年）。渋沢は仕事に対する趣味を説く章（第五章「理想と迷信」）で，雍也のこの言葉を自ら引いている。

## 参考文献

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**Abstract**

In Japanese organizations, *jibungoto-ka* (treating matters as one's own) is demanded across domains, yet the concept remains underdeveloped. Medicine confronted a similar problem in shifting from compliance to adherence; medication counseling was one practical implementation of this shift. This article transfers the structure to organizations, redefining *jibungoto-ka* as undertaking—holding an internally endorsed purpose within a relation of answerability—combined with embodiment, its integration into practice. Answerability is a non-transferable standing to give reasons to specific others and requires reciprocity. The medicine–organization asymmetry derives from pathways of encounter, not from domains. We propose two pathways of organizational adherence: a forward pathway through which employees undertake managerial purposes, and a reverse pathway through which employee-originated orientations enter a formal review process, and decision makers give reasons for adoption, deferral, or termination. Chronic failure results from pressing only the forward pathway. As generative AI accelerates externalization and combination, undertaking and embodiment become the rate-limiting steps. We derive three principles: designing enabling conditions including encounters, assigning accountability for stopping decisions, and observing leading indicators.

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